2018年9月20日木曜日

「食べ物との距離」を近づける。


ここ一年ほど、「食べ物との距離」について考えている。
そもそも「食べ物との距離」とはなんだ?ということになりそうですが。

考えるきっかけとなったのはデンマークでの農業体験である。(デンマークでwwoofを体験する。)
約2ヶ月ほど、農家さんの家に住みながら一緒に畑や鶏小屋の管理をさせてもらった。


僕にとってほぼ初めての農作業のため、全てが新鮮で毎日が楽しかった。
子供のとき以来していないであろう、「土に触れる」ということがすごく心地よかった。

また、必然的に自然のリズムにそった生活。
慣れないうちは、早朝に起きることが辛かった。
でも、1週間もすればそんなリズムにも慣れ、朝の目覚めが気持ちよく感じられるようになった。

そういう普段の東京生活(当時は東京に住んでいた。)では感じられない癒しみたいなものを体験できただけでも、楽しかった。
よく雑誌などで見かける「移住・Iターン・地方」などのキーワードが自分にとっても少し身近になった。

それから東京でのいつもの生活に戻ったわけだが、
どこかでデンマークでの体験を懐かしむ自分がいて、もやもやとしていた。
でも、それは「ただ田舎暮らしをしたい。」とか、そういうものではない気がした。

デンマークで感じた魅力はなんだったのか?
そんなことを暇なときに考えてみた。

■食べ物との距離

その中で出てきたのが「食べ物との距離」というキーワード。
フードマイレージという言葉があるが、それとはまたちょっと自分の中で間隔が違うので、あえてこんなキーワードにしている。

東京での普段の生活では、この「食べ物との距離」が遠かった。

僕はほとんど自炊をしないということもあって、朝はコンビニでパン、昼食はチェーンの牛丼屋、夜はスーパーのお惣菜なんて日もよくある。

そこでの「食べ物」は、ただ必要だから買う、
どちらかというとお金をぽんっと出して、無感情にそれらの食事を受け取っていたように感じる。
それらがどこで作られて、どんな材料が使われていて、味付けがどうとか、そんなこともあまり考えずに食べていた。

そこにあまり関心はなく、つまり意識から遠ざけられた食べ物たちだった。
そういうことが「食べ物との距離が遠い」状態なのだと思う。
衣・住には関心があるのに、食だけがないがしろにされていた。

一方、デンマークでの食生活はこうだった。

野菜や卵は自分たちでまかなえていた。
毎日、必要分を畑から収穫してそれを食事の材料にする。
簡単に言うと自給自足。
(もちろん彼らは農家さんなので、自給自足以上にたくさんの量を生産している。)
また、チーズや牛乳、肉などは知り合いの酪農家さんなどのところに買いに行く。

日常、食べるものが何かしらの思い入れがある。
その季節しか食べれないもの。
顔の分かる人が作ったもの。
自分たちでしっかり吟味して買ったもの。

そういうことが「食べ物との距離が近い」状態。


きっと自分はデンマークで体験した生活のこのようなところに魅力を感じていたんだなと。

今までまったくしていなかった食生活。そして、あまり興味もなかった分野。
それがいざ体験してみると、とても幸せに感じられ、大切にしていきたい部分だった。

仕事が忙しいから、食が適当、インスタント的。
そういうのは、ちょっといやだなと。

今後は「食べ物との距離が近い」状態をなるべく意識して生活していきたい。
一気に全部は難しいけど、少しずつ。

それ以来、家庭菜園をやってみたり、
信頼できるお惣菜屋さんを探して、せっかくならそういうところで買ってみたりと、

そんな小さのことでも、日々は少し豊かになるかもしれない。